松江杵築往還を歩く2 —子安観音堂(武志)から竿井手川高岡・髙浜境界交差点(一丁地蔵)まで—
地図1 松江杵築往還(子安観音堂〜竿井手川高岡・髙浜境界交差点)
©背景地図:地理院タイル

写真1 武志土手から見た川跡地区
撮影2025年4月
写真1のように往還脇に子安観音堂があります。戦後まもなく地域の有志によって、旧中溝家の持仏堂を移して建立されました。最近、お堂が新しくなりました[3]。
明治時代まで、今の子安観音堂隣に茶屋・旅籠がありました[5] p.34。大正3年(1914)の一畑軽便鉄道開通にあわせて、武志駅隣(岡田商店)に移転しました。
少し歩くと右手に鹿島神社があります(写真2参照)。大国主命(おおくにぬしのみこと)の国譲りに登場する武甕槌命(たけみかづちのみこと)、経津主命(ふつぬしのみこと)、天鳥船命(あめのとりふねのみこと)を祀っています。明治44年(1911)に、斐伊川の中州(堤外)にあった櫛八玉命(くしやたまのみこと)を祀った膳夫(かしわで)神社が合祀されました[2]。

写真2 往還から見た鹿島神社
撮影2025年9月
鹿島神社から少し離れて、大黒山萬福寺と大日堂があります。萬福寺は、臨済宗相国寺派のお寺で、写真3のように鐘楼門があります。慶安2年(1649)の開山といわれています。 境内には、鎮守堂、武志義民の碑などがあります。大神門札三十三番観音霊場の第八番札所です。

写真3 萬福寺
撮影2025年9月
大日堂は、萬福寺から東に少し離れた所にあります(写真4参照)

写真4 武志地区の大日堂
撮影2025年9月
往還をまっすぐ行くと、左手に一畑電車武志駅があります。大正3年(1914)の一畑軽便鉄道(当時)開通とともにできた駅です[2]。写真5のように駅隣には岡田商店があります。開業時に、駅業務を行うために武志土手下から移転したお店でしたが、最近閉店しました。

写真5 武志駅と岡田商店
撮影2022年2月
荻杼町と武志町(旧栃島村と旧武志村)との境界を通ります。昔、この付近に一里塚がありました。江戸時代の絵図から確認できます[4]。明治42年(1909)に川跡村尋常小学校新校舎落成を祝って、一里塚松が校庭に移植されました。今も川跡コミュニティセンター敷地(川跡小学校跡)に2本の一里塚松があります[2]。
なお、往還の一里塚松は、美談土手(平田町)と常松町(極楽寺付近、髙浜地区)にもありましたが、今は残っていません[4]。当時の正確な場所は不明です。
歩いて行くと交差路脇に一丁地蔵があります。左手が川跡小学校跡です。跡地に川跡コミュニティセンターと北陽第2こどもクラブがあります。右手(北側)に出雲市立川跡幼稚園が見えます。少し離れて、昭和52年(1977)に川跡小学校と鳶巣小学校の統合で開校した北陽小学校があります[2]。
さらに進むと、右側に地蔵堂があります。天明八年(1788)建立の修繕院真福寺跡です[2]。すぐ先が上井手道(うわいで、通称 わいで、上井手川)との交差路です。
交差路左手奥(上井手川南側)に川跡神社があります。大正4年(1915)に、古くから地域にあった旧高岡村八幡社、旧栃島村大歳社、旧稲岡村大歳社、旧荻原村八幡社、旧中野村大歳社を合祀して創立されました。今の社殿は、昭和33年(1958)の遷宮で一部改築されたものです。平成26年(2014)に創立百年奉祝祭が執り行われました[1]。
往還は上井手川沿いの微高地(自然堤防跡)に沿って続きます。最初、左側(南側)が荻杼町(旧荻原村)、右側が稲岡町(旧稲岡村)ですが、途中から両側が高岡町(旧高岡村)になります。
この往還周辺地域に、稲岡遺跡、高岡遺跡などの遺跡があります。高岡遺跡では、奈良時代の水田跡がたくさん見つかっています。

写真6 往還脇にある善正寺
撮影2025年8月
さらに進むと、以前は往還右脇に「蔵の東屋の大松」と呼ばれていた大松がありました[5]。300年以上経過した老木で、昭和50年代に倒伏してしまいました。
少し歩くと、 左側に荻原稲荷神社跡(今は畑です)があります。稲荷社は川跡神社建立時に境内に移されました。ここを過ぎると、左手が高岡町になります。
さらに行くと、写真7のように往還右側に稲岡大歳神社跡と秋葉神社(石祠)があります[2]。明治の初めまで、稲岡村(当時)には北大歳神社と南大歳神社がありましたが、合祀されました。その後、大正4年(1915)に川跡神社に合祀されました。跡地に大歳神社跡の石柱と秋葉神社(大歳神社境内社)があります。

写真7 稲岡大歳神社跡周辺の風景
撮影2025年8月
大歳神社跡少し先の往還左側に念仏堂(高岡上町内)があります。建立時期や由来は不明ですが、地蔵仏が祀られています。毎年地域の人たちが一緒にお参りしています。

写真8 高岡八幡具跡の石塔
撮影2017年4月
往還を進むと両側が高岡町になります。往還左側の道を少し入った所に、写真8のように高岡八幡宮跡に石塔が建っています。延長元年(923)に高岡上分が勧請したと伝えられています。八幡宮は、大正4年(1915)に川跡神社に合祀されました[2]。 毎年、豊作を祈願する社日祭(3月)が執り行われています。
写真9のように、往還右側に弘法大師の開基(平安時代)といわれる古刹の多福寺があります[2]。慶長と大正年間の2回焼失しましたが、再建されました。境内には、鐘楼、大師堂(護摩堂)、秋葉社、稲荷社や高岡義民の碑、弁慶の硯石などがあります。尼子経久が出雲大社に奉納した梵鐘(現在福岡市西光寺所蔵。国宝)を、昭和53年(1978)に復元鋳造した梵鐘もあります。

写真9 往還沿いの古刹多福寺
撮影2025年3月
多福寺の少し先、往還右側に大日堂(高岡大日町内)があります。建立時期は不明ですが、毎年8月に町内有志によるお祭りが行われています。

写真10 竿井手道交差路の道標
撮影2019年3月
竿井手道(竿井手川)との交差路(五叉路)に着きます。写真10のように、往還は右側から竿井手道(中央まっすぐな道)につながり,右折して竿井手道として進みます。交差路脇に道標(高岡旭町内)があります。刻字はほとんど読めません。道路や用水路の整備ごとに、昔からの道標として残されたそうです。
写真10に示されている竿井手川沿いを西(正面まっすぐ)に進むと旧矢尾今市線と交差します。交差路横に一丁地蔵があります。ここが、高岡町と里方町との境です。
参考資料
[1] 川跡神社創立百年記念誌編纂委員会.「川跡神社創立百年記念誌 川跡神社と私たち」、川跡神社創立百年奉賛会、平成27年(2015)3月.
[2] 郷土誌川跡編纂委員会.「郷土誌川跡」、郷土誌川跡刊行委員会、平成3年(1991)12月.
[3] 斎藤至.「松井弾正の子と武志村中溝家」、大社の史話、第56号、pp.8-12、大社史話会、昭和60年6月.
[4] 島根大学.「出雲國十郡絵図」、 島根大学付属図書館デジタルアーカイブ. https://da.lib.shimane-u.ac.jp/content/2314(2025年8月22日閲覧 ).
[5] 島根県教育委員会.「松江美保往還・松江杵築往還・巡見使道:歴史の道調査報告書第10集」、pp.21-40(松江杵築往還の概観)、1999年3月.
履歴
∆0 2023-05-25 新規登録
∆1 2025-10-31 再構成
∆2 2026-02-08 公開
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松江杵築往還を歩く1
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松江杵築往還を竿井手(高岡・里方交差点)一丁地蔵から神門通りまで歩いてみました
一畑電車
一畑電車は、電鉄出雲市駅と松江しんじ湖温泉駅の間、川跡駅と出雲大社前駅の間を運行しています
松江杵築往還
松江から平田を通り斐伊川堤防沿いに武志まで、そこから西進し高岡方面へ進む道路です
武志子安観音堂
斐伊川堤防脇の松江杵築往還沿いにあるお堂です