松江杵築往還を歩く3 —竿井手(高岡・里方交差点)一丁地蔵から神門通りまで—
地図1 ©背景地図:地理院タイル
旧矢尾今市線との交差点を右に曲がると高濱神社(高濱伊勢宮)[3] pp.262-263 と林寶山清雲寺(真言宗)[3] p.274 があります(里方町)。写真1のように、高濱神社と清雲寺は道を挟んで隣接しています。 清雲寺は大神門札三十三番観音霊場の第六番札所(里方)で行基の開基と伝わっています[5]。
少し離れて、旧道沿いの三叉路に札打ちの道標があります。道標には「右くわんおん寺・左せいうん寺・文政五年(1822)」と刻まれているそうですが、今は読めません[5]。

写真1 高濱神社と清雲寺
撮影2024年6月
この交差路を西へ竿井手川沿いに進むと、現在の矢尾今市線(県道278号線)との交差します。写真2は矢尾今市線を南から北を見た交差路です。写真2の交差路を左右(東西)に通る道が往還です。中央を上下に延びる県道(南北)は、一畑電車線路の跨線橋を通って北山沿いの国道431号につながります。

写真2 往還と矢尾今市線との交差路風景
撮影2025年8月
交差路の南少し離れて烏森神社跡(高岡町)があります。稲背脛之命(いなせはぎのみこと)、高背脛之命(たかせはぎのみこと)と興津姫命(おきつひめのみこと)を祀っています[7]。烏森神社の由緒は不詳ですが、高岡下分の氏神です。 烏森町内の人たちによる祭祀が4月に執り行われています。
また、県道工事中に、髙浜I遺跡(高岡町)が見つかりました。室町時代の有力武士の館跡から最古の将棋盤と駒二つなどが見つかりました。また、集落跡や斐伊川の旧河道跡も見つかっています[6]。

写真3 往還脇の光善寺
撮影2024年6月
少し歩くと、再び交差路があります。右に曲がる道(旧矢尾今市線 )は一畑電車高浜駅の横を通って北山沿いの国道431号につながります。
竿井手川沿いに往還を進むと、右手に大土神社(平野町堀江)があります[3] pp.263-264。神社入口に神社名を刻字した大きな社標(石碑)があります。祭神は素戔嗚尊(すさのおのみこと)で、創建年代は不詳ですが鎌倉時代と推定されています。令和3年(2021)に遷宮が執り行われました。

写真4 往還脇の大土神社
撮影2024年6月
少し進むと、写真5のように、右手に来寶山光福寺を刻んだ大きな寺標(石碑)があります(平野町堀江)。奥へ入ったところに光福寺があります。古くは真言宗の寺だったそうですが、今は臨済宗(妙心寺派)です[3] pp.275-276。また、光福寺の寺標西側には 一畑燈籠があります。安政五年(1858)に建立されたものです[5]。

写真5 高浜光福寺と一畑灯籠
撮影2025年10月
光福寺から少し離れて、参道を一畑電車が横切る粟津稲生(あわづいなり)神社(平野町・粟津)があります[3] pp.264-265。往還からの参道に多くの鳥居がありますが、途中に一畑電車の踏切があります。写真6のように電車が神社と鳥居列の間を通過します(参道を横切る)。なお、稲生の表記は極めて少ないそうです。

写真6 稲生神社と鳥居との間を通過する一畑電車
撮影2024年6月
往還を進むと、写真7のように、道路右脇に「旧往還道」の石柱があります[5]。以前は、このあたりから一畑電車線路を斜めに横切っていたそうで、その痕跡が残っています。現在は、踏切が西に移って直角に横切るように整備されてます。

写真7 旧往還石柱付近の風景
撮影2024年6月
踏切を渡って進むと、左側奥(南側)に仏谷山極楽寺(曹洞宗)があります(常松町)。天正二年(1574)に極楽山(大社町遥堪)に開創された鰐淵寺の坊が、江戸時代初期に、今の位置に移転されたものといわれています[3], PP.276-277。極楽寺の西あたりに一里塚がありましたが、正確な場所は不明です [4][5]。

写真8 極楽寺
撮影2024年6月
少し進むと、写真9のように右側に常世(とこよ)神社(常松町)があります[3] pp.265-266。祭神は少彦名命(すくなひこのみこと)で、誉田別命(ほむたわけのみこと.応神天皇)が合祭されています。常世八幡宮とも呼ばれていたそうです。昔は、神社から南に少し離れた場所に大社の大鳥居がありました。今も小字「大鳥(おおとり)」があります[2] P.317[3] p.323 [5] 。

写真9 常世神社
撮影2024年6月
さらに進むと、往還が高浜川左岸沿いになります。川沿いに歩いて出雲大社線(県道28号線)を横切ると左側に遥堪排水機場があります。高浜川沿いに進むと、写真10のように高浜川(右側)と古内藤川(左側)が合流します。2つの川の水位が異なるため中土手で仕切られています。髙浜川沿いに進んで古内藤川を渡って馬場通り(新馬場通り)を行くと勢溜(せいだまり)坂下の神門通りに着きます。馬場通り途中の右側に少し離れて不老山神光寺(曹洞宗)があります。昔の往還は、神光寺前を通って、直接、勢溜へとつながっていました(旧馬場通り)が、江戸時代(19世紀)に今のような道(新馬場通り)に変わりました[1] [5]。

写真10 高浜川と古内藤川の合流付近
撮影2024年6月
参考資料
[1] 梶谷実.「 出雲大社参詣道(二)—江戸時代の絵図と道—」、大社の史話、 第51号、pp.7-14、大社史話会、昭和59年(1984)5月.
[2] 黒澤長尚撰・蘆田伊人校訂.「雲陽誌」、大日本地誌体系(42)、雄山閣、昭和46年(1971).
[3] 郷土誌高浜編集委員会.「郷土誌高浜」、郷土誌高浜運営委員会.平成5年(1993)3月.
[4] 島根大学.「出雲國十郡絵図」、 島根大学付属図書館デジタルアーカイブ. https://da.lib.shimane-u.ac.jp/content/2314(2025年8月22日閲覧 ).
[5] 島根県教育委員会.「松江美保往還・松江杵築往還・巡見使道:歴史の道調査報告書第10集」、pp.21-40(松江杵築往還の概観)、1999年3月.
[6] 島根縣埋蔵文化財調査センター編集.「 高浜Ⅰ遺跡(3区)』、 一般県道矢尾今市線地方道路交付金事業(大塚工区)に伴う埋蔵文化財発掘調査報告書4 、島根県教育委員会.2019年3月.https://sitereports.nabunken.go.jp/36069(2025年8月26日閲覧).
[7] 渡部彝(つね, 常).「出雲神社巡拝記(天保四年.1833)」、松江市史史料編5近世I、pp.566-643(p.597.烏森大明神)、平成23年(2011).
履歴
∆0 2023-05-25 新規登録
∆1 2025-11-03 再構成
∆2 2026-02-08 公開
おすすめ
川跡の河川交通
道路網、河川、用水路、公共交通(電車バス)など
西部一丁地蔵列
高岡町から高浜地区にかけての地蔵群です
松江杵築往還を歩く1
松江杵築往還を西代橋から武志土手下まで歩いてみました
松江杵築往還を歩く2
松江杵築往還を子安観音堂(武志)から竿井手川高岡・髙浜境界交差点(一丁地蔵)まで歩いてみました
一畑電車
一畑電車は、電鉄出雲市駅と松江しんじ湖温泉駅の間、川跡駅と出雲大社前駅の間を運行しています
松江杵築往還
松江から平田を通り斐伊川堤防沿いに武志まで、そこから西進し高岡方面へ進む道路です
札打ちの道標
旧道沿いの三叉路に札打ちの道標と呼ばれる道標があります