上位層ボタン

弁吉女の墓 べんきちめのはか

出雲地方には弁慶に関わる伝説が多くあります[4][5][6][7][8]。川跡地区には、武志下町内に弁慶の母弁吉女(べんきちめ)の墓と伝わる古塚があります[2][3]。松江藩の地誌「雲陽誌(神門郡武志の条)」にも記述があります[1]

写真1 弁吉女の墓の周辺
撮影2025年6月

写真1は、弁吉女の墓から斐伊川下流方向(東向き)を見た風景です。斐伊川土手左岸(北側)には北山との間に水田が広がっています。弁吉女の墓は、高橋家墓地隣の水田脇にあります。現在、高橋家で世話をされています。

弁吉女の墓は、昔は五輪塔であったと云われていますが、写真2のように丸い石を重ねたものになっています。以前は、いまの位置から北東に20mくらい離れた水田の中にありましたが、 耕地整理(土地改良事業)で、この場所に移りました。この時には、既に五輪塔でなかったそうです。

写真2 弁吉女の墓石
撮影2025年6月

案内板には、次のように書かれています。
『弁吉女の墓  雲陽誌の中に、弁慶の母親の墓と伝えられるとある。
山の向うの鰐淵寺で若い弁慶は修行をしたと伝えられることと、何か関係がありそうである。
墓の元の位置は、ここの北東20mのところで、耕地整理の際ここに移された。
(川跡地区明るい街づくり推進実行委員会)』

なお、長見神社(松江市長海町)には「弁吉女霊社」があります[4]。松江市の本庄地区には弁慶伝説が残っています。

参考資料 

[1] 黒澤長尚撰・蘆田伊人校訂.「雲陽誌」、大日本地誌体系(42)、 神門郡武志条(p.284)、 雄山閣 昭和46年(1971).

[2] 郷土誌川跡刊行委員会.「郷土誌川跡」、p.366、 平成3年(1991) .

[3] 棟居洋(むねすえひろし).「出雲みちくさ物語」、出雲市民文庫8、 pp.43-45 、平成2年(1990).

[4] 島根県教育会編.「島根県口碑伝説集(復刊)」、八束郡(pp.23-27)、歴史図書社、昭和54年(1979).

[5] 鳥谷芳雄.「出雲地方の弁慶伝説—生誕地主張できる豊富さ—」、いまどき島根の歴史47、山陰中央新報、2018年5月5日.

[6] 鳥谷芳雄.「出雲西部の弁慶伝説」、山陰中央新報記事、2021年11月17日.

[7] 鳥谷芳雄.「出雲地方の弁慶伝説(一)—弁慶の父母に注目する—」、季刊文化財、158、pp.4-10、島根県文化財愛護協会、2024年3月.

[8] 鳥谷芳雄.「出雲地方の弁慶伝説(二)—母の来国と結びの神に注目する—」、季刊文化財、160、pp.1-6、島根県文化財愛護協会、2025年3月.

履歴 

∆0 2025-11-13 新規登録

∆1 2026-02-08 公開

地図 

©背景地図:地理院タイル

おすすめ 

忠魂碑
コミュニティセンター横にある戦死者のための忠魂碑(忠霊塔)です

斐伊川河川敷公園
野球場、ターゲットバードゴルフ場、ラジコンカーサーキットなどがあります

史跡
古くからの土地であるため多くの史跡があります

斐伊川土手の御杖桜
斐伊川大土手の美談土手に、お杖桜と呼ばれる桜の木があります

弁慶伝説と川跡
出雲地方には、他地域と比べて多くの弁慶伝説があります

松江杵築往還を歩く1
松江杵築往還を西代橋から武志土手下まで歩いてみました

松江杵築往還を歩く2
松江杵築往還を子安観音堂(武志)から竿井手川高岡・髙浜境界交差点(一丁地蔵)まで歩いてみました

旧海軍大社基地
昭和20年、斐川町出西地域に海軍大社基地が設営されました

一畑電車
一畑電車は、電鉄出雲市駅と松江しんじ湖温泉駅の間、川跡駅と出雲大社前駅の間を運行しています

松江杵築往還
松江から平田を通り斐伊川堤防沿いに武志まで、そこから西進し高岡方面へ進む道路です

最終更新日: