斐伊川土手のお杖桜 ひいかわどてのおつえざくら
斐伊川大土手の美談土手(みだみ、みだん)に、お杖桜と呼ばれる桜の木があります。土手の下には水家(現在、児玉家)の墓地もあります。江戸時代の絵図[9]でも確認ができます。
美談土手のお杖桜は、松江藩主松平直政と美談村の豪農水伝蔵とに関わる言い伝え(説話)として広く知られています[5][7]。斐伊川は古くは神門水海から日本海に流れていた(西流)ことが出雲国風土記[1]に書かれています。江戸時代に入って、藩主京極忠高(若狹守)は宍道湖に注ぐ(西流の閉塞)ように流路の統合工事(治水工事)を始めました[6][8]。水利学者川口昌賢を招いて流路案を作らせました。しかし、途中で忠高は逝去し、一次中断しました。次の藩主松平直政(出羽守)が工事を引き継ぎ、寛永18年(1641)から始めて明暦3年(1657)に終わりました[3]。
京極氏が治水工事を始めた当初案は、弓状的な河道であったそうですが、最終的には蛇行的なものになりました。この変更に関わる言い伝えの一つがお杖桜の説話です。
京極案では水伝蔵の墓地や屋敷、さらには美談、西代(にしだい)、国富(くにとみ、くんどみ)地域の村々が河道となり埋没してしまうものでした。伝蔵は、直政の大社参詣の機会に流路の変更を嘆願しました。直政は、流路の変更点に杖を立て、その願を聞き入れたということです。杖の位置に桜を植え、記念としました。これがお杖桜のはじまりです。伝蔵は直政の依頼で、中洲まで藩主を背負って渡したという言い伝えももあります。より詳しい資料もあります[7]。この説話に関連する品々は今も保管されているそうです。
写真1は、往還脇のお杖桜と大土手下の水家墓地を下流に向かって見た様子です。写真右手の大土手往還脇にお杖桜、用水路を挟んで左手の土手下に墓地があります。東に向いていた大土手は、このあたりから左(北向き)に湾曲しています。

写真1 斐伊川大土手(美談土手)左岸を下流に向かって見た風景
撮影2025年4月
お杖桜の言い伝えは、地域の農民達の要望を藩主が聞き入れて、河道を当初計画を局所的に修正したという構造となっています。史料からは、当時の治水工事による土地収用に対する反対が村々で広く起こっていたことがわかります[2][3]。江戸時代の封建社会における反対行動が、このような説話で今に伝えられてきたことがわかります。
なお、斐伊川は武志土手下流から蛇行して宍道湖に注いでいます。伊丹堂下流から南に、さらにお杖桜付近で北へと曲がり最終的に東方に流れています。絵図[9]にも、伊丹堂やお杖桜付近での河道の蛇行が描かれています。このような流路を「出雲のカナ曲がり」と呼んでいますが、ことばの由来は不詳です。
参考資料
[1] 秋本吉郎校注.「風土記」、pp.176-213(出雲風土記 出雲郡・神門郡)、岩波書店、昭和46年(1971).
[2] 斐川町誌編纂委員会.「斐川町史」、pp. 1038-1058(近世の斐伊川、東流と統合)、昭和47年(1972).
[3] 平田市誌編さん委員会編.「平田市誌(復刻版)」.pp.289-298( 斐伊川の統合)、平成6年(1994).(初刊は昭和44年).
[4] 平田市老人のための明るいまち推進協議会.「ひらたしのむかし話」、pp.20-24(御杖桜)、昭和54年(1979).
[5] 国富郷土誌編纂委員会編.「国富郷土誌」、pp.180-183(斐伊の流れとお杖桜)、平成9年(1997).
[6] 松江市歴史まちづくり部史料調査課編.「「斐伊川東流」を考える(特集)」、松江市歴史叢書14( 松江市史研究12号)、2021年3月.斐伊川の東流に関する多面的な検討が収録されている.なお、最近の研究成果[8]も興味深い.
[7] 島根県教育委員会.「島根県口碑伝説集(簸川郡)」、pp.32-33(斐伊川堤防の御杖桜)、歴史図書社、昭和54年(1979).
[8] 島根大学.「プランクトンに着目して過去2000年間における宍道湖の歴史を明らかに! 過去の気候変動を紐解く第一歩」、島根大学報道発表資料、令和5年(2023)12月13日.https://www.esrec.shimane-u.ac.jp/…20231213release.pdf(2024年7月1日閲覧).
[9] 島根大学.「出雲國十郡絵図」、 島根大学付属図書館デジタルアーカイブ.https://da.lib.shimane-u.ac.jp/content/2314(2025年8月22日閲覧 ).
履歴
∆0 2020-02-01 新規登録
∆1 2025-11-13 本文修正、写真差し替え
∆2 2026-02-08 公開
地図
©背景地図:地理院タイル
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