武志子安観音堂 たけしこやすかんのんどう
武志土手下の松江杵築往還沿いに子安観音堂があります[1][2][3]。地域の人たちが、昭和20年(1945)に武志中溝家の持仏堂の一部をここに移して建立したと伝わっています。その後、近隣の人たちによって維持、管理されています.残念ながら、建立当時の写真などは見つかっていません。
写真1は、平成8年(1996)に撮影されたものです。子安観音堂の横には半鐘と大きな銀杏の木があったことがわかります。写真2は、平成30年(2018)に撮影されたものです。半鐘が撤去されていますが銀杏の木は残っています。
最近、近隣の人たちによってお堂が新しくなりました.写真3は、2023年に撮影した新しい子安観音堂の風景です.昔から、近所の人たちがお参りされています.
写真1 昔の子安観音堂.観音堂の脇に半鐘があります
撮影:岡博之, 撮影1996年
写真2 2018年頃の子安観音堂
撮影2018年11月
写真3 2023年頃の子安観音堂
撮影2023年10月
参考資料
[1] 郷土誌川跡編纂委員会編.「郷土誌川跡」、pp.429-435(武志村中溝家)、平成3年(1991)12月.
[2] 斎藤至.「松井弾正の子と武志村中溝氏」、大社の史話、第56号、pp.8-12、大社史話会、昭和60年(1985)6月.
[3] 島根県教育委員会編.「松江杵築往還」、島根県歴史の道調査報告書、第10集、pp.23-40、1999年3月.
履歴
Δ0 2020-02-01 新規登録
Δ1 2023-02-15 建て替え後の写真追加、半鐘基礎写真追加
Δ2 2024-11-17 本文作成。写真入れ替え
Δ3 2024-11-22 本文、図修正
Δ4 2025-05-02 公開
地図
背景地図:地理院タイル