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一丁地蔵 いっちょうじぞう

弘法大師の霊場をめぐる四国八十八か所巡りが広く知られていますが、古くから、全国に多くの霊場巡りがあります。出雲地方にも、「出雲三十三か所巡礼」や「神門郡三十三か所巡礼」などの記録があります[1][2][3][5]。また、川跡地域にも巡礼路が通っています。

巡礼路には、一丁(約109m)ごとに目的地までの距離を刻んで配置された一丁地蔵があります。地蔵信仰とともに、当時の人たちに巡礼路の里程標として親しまれていました。

一丁地蔵は、道路整備や宅地造成などで、昔の位置に残されているものは少なくなりましたが、地域には、鰐淵寺などが目的地となっているものが残っています [4]写真1,写真2,写真3は、それぞれ稲岡町内、武志町内、高岡町内に残っている一丁地蔵です。

写真1 一丁地蔵(稲岡町内)
撮影2016年

写真2 一丁地蔵(武志町内)
撮影2022年

写真3 一丁地蔵(高岡町里方町境界)
撮影2024年

昔のままの古い一丁地蔵は、刻まれている文字を読むことができなくなっているものもあります。しかし、一丁地蔵をたどると、昔の巡礼路を想像できるところもあり興味深いです。

巡礼(じゅんれい)


神社仏閣、聖地や霊場をめぐって巡拝することを巡礼と言います。また 遍路(へんろ) とも言います。弘法大師の修行の場とされる四国八十八か所の巡礼や西国三十三か所の観音をめぐる西国巡礼などが、特に知られています。平安時代中期の三十三か所観音霊場巡礼が始まりとい言われています。

東部一丁地蔵列中部一丁地蔵列西部一丁地蔵列 397 398 399

地図1 川跡地区及び周辺の一丁地蔵
背景地図:地理院タイル. 作成2019年

397 東部一丁地蔵列
武志町から鳶巣地区にかけての地蔵群です

398 中部一丁地蔵列
稲岡町から鳶巣地区にかけての地蔵群です

399 西部一丁地蔵列
高岡町から高浜地区にかけての地蔵群です

参考資料


[1] 池橋達雄。「補説 出雲巡礼道」、 島根県教育委員会編「島根県歴史の道調査報告書」、第8集、pp.43-62、 島根県教育委員会、 1998年3月。

[2] 岩淵信安。「出雲市内のお遍路道」、平成22年(2010)。私家本。

[3] 松江市史編集委員会.「出雲札所観音霊場記」、「松江市史 資料編5 近世I」、pp.481-565、平成23年(2011)。資料には、書き下し文も掲載されています。同書pp.40-43には解説があります。また、次のような資料もあります。岩谷肇.「出雲札所観音霊場」大社の史話、第159-163号、大社史話会、 平成21年6月から平成22年6月.第一番長谷寺(159号、pp.5-9)、第二番養命寺(160号、pp.17-21)、第三番鰐淵寺(161号、pp.18-21)、第四番観音寺(162号、pp.35-38)、第五番岩根寺(163号、pp.26-31)。「出雲札所観音霊場記(寛政10年(1798)松江円鏡山浄心寺の住持・珪導(けいどう.別号月珪堂)編集)」( 島根県立図書館蔵)の書き下し文です。

[4] 郷土誌川跡編纂委員会、「郷土誌 川跡」、pp.285-286、平成3年(1991).

[5] 多根令己。「出雲三十三か所巡礼と神門郡三十三か所巡礼」、 出雲塩冶誌編集委員会編「出雲塩冶誌」、pp.494-505、 出雲塩冶誌刊行委員会、平成21年(2009)。

履歴


Δ0 2019-06-18 新規登録

Δ1 2020-05-10 コラム追加

Δ2 2021-06-02 本文全面差し替え、個別地蔵分離

Δ3 2021-06-03 コラム一丁削除、他

Δ4 2022-09-03 写真追加、本文修正

Δ5 2024-06-10 地図追加

Δ6 2024-11-23 高岡町の地蔵写真差し替え

Δ7 2024-12-20 参考資料追加

Δ8 2025-03-02 レイアウト変更

Δ9 2025-05-02 公開

script:2025-04-25
build:2025-05-07 21:16:55 +0900