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斐伊川の東流 ひいかわのとうりゅう ー新しい科学的知見ー

出雲国風土記[2]には、斐伊川(出雲大川)が神門水海(名残が神西湖)に注いでいる(日本海へ流れている)と書かれています(西流)。現在は、流路が変わって固定的に宍道湖に注いでいます(東流)。この流路の変遷には8世紀から20世紀までの約1,300年という時間があります。

写真1 往古簸川西流絵図 大正3年(1914)影写
出典:島根県立図書館しまねデジタル百科

明治22年(1889)の川跡村誕生の村名選定事由には「往古斐伊川の川跡(かわあと)」と書いてあります。このことからも斐伊川の流路変遷は、川跡地域と密接な関係があります。斐伊川が「いつ、どのように、その流路を西流から東流へと変えたか」という「斐伊川東流問題」には、史料や地質調査などの自然科学的資料による多くの議論があります。しかし、十分に明快な回答が得られてはいないそうです[1]

最近、宍道湖の湖底堆積物調査から、新しい知見が得られました[4][5]。資料[5]を要約すると以下のようになります。『プランクトンに注目して宍道湖の過去2,000年にわたる環境変化を分析した.湖底から約2.5mの深さ(西暦1,200年ー1,290年頃に相当)より深い部分では、海水や高塩分性のプランクトンが多く検出された.さらに、この深度より下部では海水の影響が強いこともわかった.これらから、宍道湖では13世紀中に淡水化が始まり、比較的短期間で現在のようなほとんど淡水の湖になった可能性を示した』

図1 は、島根大学の報道発表資料[5]に記載されていた宍道湖の環境・生態系変化を示しています。13世紀(湖底からの深さが2.5m付近)中に、プランクトン組成の汽水性から淡水性への変化と、硫黄の濃度変化があります。これによって、急激に宍道湖の淡水化、すなわち斐伊川からの多量な淡水流入の可能性が示されるということです。

図1 過去の宍道湖の環境・生態系変化
報道説明資料[5]の図3を許可を得て転載 承認2024年12月06日

この研究成果は、斐伊川の流路変遷についての議論をより明確化するのにも役立つと思われます。これまでの議論を振り返る必要もあるかも知れません。特に、寛永年間(1624-44年)の洪水によって東流するようになったとするこれまでの通説から解き放たれた議論ができるようになると思います。

なお、島根大学の研究は、7,000年〜5,000年前(縄文時代)の自然環境の分析へと進んでいるそうです[5]。この頃は、出雲平野の一部には内湾が広がっていたので、川跡地区は海の中であったでしょう。研究が進めば、いまの川跡地区がどのように形成されてきたか、その概要もこれまで以上にわかるようになるかも知れません。

参考資料


[1] 松江市歴史まちづくり部史料御調査課編.「「斐伊川東流」を考える」」、 松江歴史叢書14(松江市史研究12)、松江市、2021年2月.https://coc.lib.shimane-u.ac.jp/8121 (2021年3月13日閲覧).

[2] 中村吉郎校注.「出雲風土記」、岩波古典文学大系2(風土記)、pp.93-256、昭和46年(1971).

[3] おおだwebミュージアム.「斐伊川・神戸川と出雲平野」、おおだwebミュージアム資料室. https://sanbesan.web.fc2.com/…kawa_izumoplain.html (2020年8月2日).

[4] 佐貫公哉.「 宍道湖はいつ『淡水性』になった? 島根大研究グループ 従来の説覆す発見」、山陰中央新報デジタル、2022年9月5日. https://www.sanin-chuo.co.jp/articles/-/264230 (2022年9月6日閲覧).

[5] 島根大学.「プランクトンに着目して過去2000年間における宍道湖の歴史を明らかに! 過去の気候変動を紐解く第一歩」、島根大学報道発表資料、令和5年(2023)12月13日.https://www.esrec.shimane-u.ac.jp/…20231213release.pdf(2024年7月1日閲覧).

履歴


Δ0 2024-02-07 新規登録

Δ1 2024-12-15 資料[4][5]により本文差し替え

Δ2 2025-05-02 公開

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