台風などによる暴風や豪雨などによる自然被害などが各地で頻繁に起きています。東日本大震災(2011年3月11日)以降、地震の発生が多くなっているようにも感じます。
山陰地方でも、暴風・豪雨や地震による被害が起きています。2022年9月に台風14号が大社湾から再上陸し松江へと出雲平野を通過しました[5]。島根県への台風上陸は統計観測以来、初めてのことでした。写真1は、稲佐の浜から見た再上陸頃の空の様子です。さいわい川跡地区では、この台風による大きな被害はありませんでした。しかし、写真2に示すような豪雨による河川の増水などは数多く起こっています。これまでの長い歴史の中では、地震、噴火、大雨、暴風、日照り、長雨、害虫の異常発生などによる多くの災害が起きています[10]。
斐伊川は、江戸時代に入って、たたら製鉄のための鉄穴流し(かんな ながし)による大量の土砂流出が起き、急激に天井川化しました。このため、江戸時代には、4年に1回くらいの頻度で洪水が起きています[6]。川跡地区が大きな被害を受けた考えられる斐伊川洪水は、天正元年(1573)の大津壇の上堤防(来原地区)の決壊、寛永10年(1633)の武志土手の決壊、延宝2年(1674)、 元禄15年(1702)の伊丹堂付近の決壊があります。この他にも、多くの洪水記録があります[2][6][7][10]。
また、地震の記録もあります。平安時代の元慶4年(880)に出雲国で大地震(出雲地震)がありました[10]。この他にも多くの地震が起きていますが、川跡地域や周辺を震源とする大きな地震の記録はないようです。
ところが、離れた地域を震源とする地震(南海トラフを震源域とする巨大地震など)では、出雲平野では周辺地域より大きい被害の記録があります。 江戸時代の宝永4年(1707)に起きた宝永地震(東南海地震と富士山噴火がほぼ同時に発生)では、武志土手が数百間(数百m)にわたり陥没しました[7][10]。また、明治5年(1873)の浜田地震では、出雲地域では死傷者、家屋倒壊被害、地面の隆起・陥没や泥水の噴出(液状化現象)などの記録があります[1][7][9]。このような地震被害は、出雲平野が沖積平野であるという特性が大きく影響しています。
歴史的な史料が残っていない時代にも災害は発生していたはずです。出雲市内の遺跡発掘から古墳時代の地震による液状化現象の痕跡などが見つかっています[4]。明治5年(1873)の浜田地震の痕跡もあります。山陰唯一の活火山である三瓶山の噴火噴出物などの痕跡も見つかっています[4]。
三瓶山噴火や神戸川、斐伊川洪水などの自然災害は、いまの出雲平野の形成に大きく寄与してます[8]。私たちが暮らしている川跡地域は、過去の自然災害と当時の人々の働きを通してできあがっています。
ところで、将来の災害に備えるためには、過去の災害をよく知ることが大切であるといわれています。川跡や周辺地域で起きた過去の災害を知ることは重要です。さらに、過去の災害が私たちの今の生活環境をつくり上げていることも、きちんと捉えなければならないと思います。
出雲市が公表している防災ハザードマップ[3]も重要な資料です。また、インターネット上には、島根県・出雲市や総務省、気象庁からの防災情報が公表されています。平常時に、これらの資料などを見て、いざというときの対応を考えてみることが必要ではないでしょうか。
川跡アーカイブでは、地域に焦点を合わせながら周辺地域も含めて、過去の自然災害に関する記事を書きます。これが防災や、いまの地域、これからの地域を考える上で役立つことを願っています。
[1] 今村明恒.「明治五年ノ濱田地震」、震災予防調査会報告、第77号、pp.43-77、1913.http://hdl.handle.net/2261/17180(東京大学学術機関リポジトリ)(2021年9月14日閲覧).
[2] 石塚尊俊編.「出雲市大津町史」、大津町史刊行委員会、pp.154-160(天正の大洪水)、平成5年(1994)3月.
[3] 出雲市.「防災ハザードマップ」 https://www.city.izumo.shimane.jp/…index.html (2022年2月11日閲覧) ハザードマップは紙版もあります.
[4] 出雲市文化財課.「出雲市内で発掘調査で見つかった地震の跡 ーいま私たちの足元を見つめなおすー」、出雲市弥生の森博物館ギャラリー展示パンフレット、2012年(平成24年)3月.ギャラリー展示( 2011年6月7日から7月11日まで)の紹介は、ウエブサイトで閲覧できます.https://www.city.izumo.shimane.jp/…yayoi_tayori_002.pdf
[5] 気象庁.「台風14号経路図」.https://www.data.jma.go.jp/…bstv2022.html (2022年10月8日閲覧).
[6] 建設省中国地方建設局出雲工事事務所.「斐伊川誌」、pp.168-200(斐伊川の洪水)平成7年(1995)6月.
[7] 美多実.「第4編 斐伊川の歴史的変遷」、斐川町史編纂委員会「斐川町史」、pp.1203-1152、昭和47年(1972)12月.
[8] おおだWEBミュージアム.「出雲平野」、おおだwebミュージアム資料室. 出雲平野の形成と出雲平野に関連する資料を閲覧することができます. http://sanbesan.web.fc2.com/…izumo_plain.html (2022年9月4日閲覧).
[9] 渡邉幸男.「濱田地震 : 明治五年舊二月六日 」、1995年4月.私家本.浜田測候所「浜田地震報告」大正元年(1912)の復刻・編集(加筆)版です.刊行時点そのままではなく、内容を整理・再吟味し、現代文に近いものに書き改め、最近の地震に関する資料も加えてあります.
[10] 島根県域の災害については、多くの資料があります.
林正久.「出雲・石見地方の自然災害とか環境改変史」、山陰防災フォーラム講演会資料、2010年12月4日.https://www.geo.shimane-u.ac.jp/sdpf/Izumo+Iwami-area-natur… (2022年2月10日閲覧).
島根県古代文化センタ−.「 前近代出雲・石見・隠岐災害記事目録」、島根県古代文化センター研究論集、23集、「前近代島根県域における環境と人間」、 2020年3月. https://www.pref.shimane.lg.jp/…saigaikijimokuroku.xlsx (2022年2月10日閲覧).なお、島根県古代文化センター研究論集には「 前近代出雲・石見・隠岐災害記事目録解題」も掲載されています.https://www.pref.shimane.lg.jp/…kaidai.pdf (2022年2月10日閲覧).
Δ0 2022-09-04 新規登録 #自然災害と川跡 20220904 UP編集版
Δ1 2022-09-06 修正 #20220904編集版の修正版20220906
Δ2 2022-10-08 台風14号関連追加
Δ3 2022-10-21 公開
Δ4 2023-06-21 表記修正
Δ5 2024-10-15 東京大学学術機関リポジトリURL修正. 誤記訂正