弁慶伝説と川跡 べんけいでんせつとかわと
武蔵坊弁慶の伝説(弁慶伝説)は全国の多くの地域にあります。「京都の五条大橋で、弁慶が千本目の太刀を奪い取ろうとして牛若丸と戦ったこと」はよく知られている昔話ですが、これは明治時代に作られたものです。ところで、古くから芸能の題材としても知られている武蔵坊弁慶は、史料にも名前がみえるので実在の人物とも考えられていますが、詳細は不明です[1]。和歌森[14]のように、伝説上の人物(架空の人物)という意見もあります。
出雲地方には、他地域と比べて多くの弁慶伝説があります。江戸時代に編纂された松江藩の地誌である「懐橘談」[3]や「雲陽誌」[2]に記述があります。これらの史料には、川跡や周辺地域の言い伝えも書かれています。鳥谷[7][8][9][10][11][12][13]は、出雲地方の伝説などについて、史料に基づいた詳細な検討を報告しています。ここでは、これらの資料を参考にしながら、川跡地域と周辺に残る伝説を紹介します。
写真1 武志町内にある弁吉女の墓
撮影2023年10月
雲陽誌[2]には、川跡地区の弁慶にかかわる伝承が2件紹介されています。一つは、雲陽誌の神門郡武志の条(武志町)に武蔵坊弁慶の母である弁吉女の墓の記述です[2][5]。「古い塚は、西塔武蔵坊弁慶の母弁吉女の墓と云われているが由来は詳しくはわからない」とあります。写真1のように、斐伊川堤防から少し離れた武志下地区の広い田んぼの脇にあります。弁吉女の墓の説明板(川跡地区明るい街づくり推進実行委員会)には、「雲陽誌の中に、弁慶の母親の墓と伝えられるとある。山の向うの鰐淵寺で若い弁慶は修行したと伝えられることと、何か関係がありそうである。墓の元の位置は、ここの北東約20Mのところで、耕地整理の際ここに移された」とあります。なお、以前は五輪塔であったと言われています。
もう一つは、神門郡高岡の条(高岡町)に「多福寺の境内に、武蔵坊弁慶が運んだ来た巨石(弁慶の硯石)がある」と書いてあります。写真2からもわかるようにかなり大きな石です.高さ六尺(180cm)ばかりと雲陽誌は書いています[3][6]。
写真2 多福寺(高岡町)境内にある弁慶の硯石
撮影2018年11月
なお、多福寺の弁慶の硯石の由来には、別の伝承もあります。巨石は、周井手(しゅいで)川沿い(荻杼町と高岡町との境界付近)にあった古墳の石棺の蓋石で、これを多福寺に移したというものです。残念ながら、この言い伝えを確認する資料は見つかっていません。
また、川跡地区周辺では、 雲陽誌神門郡矢尾の条に「来成(きなし)天皇(来成天王社)の本社へ上る坂路に弁慶岩と言い伝えられる巨岩があるが、由来は詳しくわからない」と書いてあります[2]。また、雲陽誌神門郡石塚の条に「岩樋には牛若丸石と弁慶石という巨岩があるが来歴は明らかでない」とあります[2]。さらに、懐橘談(下巻)神門郡神西湖の条に「今は橋として使われている「弁慶が硯」がある」とあります[3]。
さらに、鰐淵寺(楯縫郡別所)や一畑寺(楯縫郡小境)にも言い伝えがあります。
参考資料
[1] ジャパンナレッジ.「弁慶」、 新版 日本架空伝承人名事典.https://japanknowledge.com/introduction/keyword.html?i=1894(2023年2月11日閲覧).
[2] 黒澤長尚撰・蘆田伊人校訂. 「雲陽誌(松江藩地誌)」、大日本地誌体系(42)、雄山閣、昭和41年(1966).
[3] 黒沢石斎著・谷口為次編.「懐橘談(懐橘談前後編・隠州視聴合紀)」、出雲文庫第2編、1914年.
[4] 郷土誌川跡刊行委員会.「 郷土誌川跡」、p.366、 平成3年(1991) .
[5] 棟居洋(むねすえひろし).「出雲みちくさ物語」、出雲市民文庫8、 pp.43-45 、平成2年(1990).
[6] 永田滋史(ながたしげし).「出雲市の寺々(上)」、出雲市民文庫11、 pp.127-130 、出雲市教育委員会、平成5年(1993).
[7] 鳥谷芳雄.「史料からみた出雲地方の弁慶伝説 ー(承前)参考文献と研究の状況ー」、山陰民俗研究、第22号、 pp.41-48 、平成29年(2017)3月.
[8] 鳥谷芳雄.「史料からみた出雲地方の弁慶伝説(2) ー資料の時系列化ー」、山陰民俗研究、第23号、 pp.19-32 、平成30年 (2018) 3月.
[9] 鳥谷芳雄.「出雲地方の弁慶伝説ー生誕地主張できる豊富さー」、いまどき島根の歴史47、山陰中央新報、2018年5月5日.
[10] 鳥谷芳雄.「史料からみた出雲地方の弁慶伝説(3) ー近世初期の資料を幸若舞曲との関連で考えるー」、山陰民俗研究、第24号、 pp.61-69 、平成31年 (2019) 3月.
[11] 鳥谷芳雄.「歴史の風景を読む」、松江文庫12、 pp.109-148、 報光社、2021年.
[12] 鳥谷芳雄.「静嘉堂文庫「武蔵坊弁慶由来」について ー翻刻と特色、そして今日的「伝説」の検討ー」、 山陰民俗研究、第27号、 pp.59-70 、令和4年 (2022) 4月.
[13] 鳥谷芳雄.「史料からみた出雲地方の弁慶伝説(4) ー『懐橘談』の中の漢詩を読むー」、山陰民俗研究、第28号、 pp.61-68 、令和5年(2023)6月.
[14] 和歌森太郎.「弁慶はいなかった」、 和歌森太郎著作集刊行委員会編.「和歌森太郎著作集 14(歴史と伝承の風土)」、pp.442-444、弘文堂、昭和57年(1982).
履歴
Δ0 2024-11-23 新規登録
Δ1 2025-05-02 公開