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斐伊川土手の伊丹堂 ひいかわどてのいたみどう

斐伊川大土手(東林木土手.ひがしはいしぎ)に伊丹堂(いたみどう.通称いたんどう)があります。写真1のように見晴らしの良い松江杵築往還(今市平田線.県道159号線)脇です.伊丹堂は、板箕堂、あるいは箕堂とも表記されていますが、通常は伊丹堂のようです。写真2は、堂内に祀られている地蔵尊です.平成28年(2016)に地蔵堂の補修があったことがわかります。

写真1 大土手松江杵築往還脇の伊丹堂
撮影2024年

写真2 伊丹堂の地蔵尊
撮影2018年

伊丹堂には、大きく2つの言い伝えがあるようです[1][2][3]。一つは、伊丹堂の由来に関する人柱伝説です。もう一つは、伊丹堂の管理に関わる言い伝えですが、2つは関連があります。なお説話は、ともに松平直政の時代のようです.二つの説話について紹介します。

最初は、人柱伝説です。昔、斐伊川の洪水でいまの伊丹堂あたりの土手が決壊し、大きな被害がありました。土手の修復、水止めが難しいため、人柱を立てる相談をしていたところ、板箕(いたみ)売りが通りかかりました。この人が人柱に適任であったため人柱になりました。水止めは成功したそうですが、板箕売りの霊を鎮めるために地蔵さんを作って祀ったのが、伊丹堂のはじまりという話です。

もう一つは、松江藩主園松平直政の鷹狩りの時に、鷹が行方不明になりました。そこで、観音寺(渡橋町)の観音様に、鷹が帰ってきたらお堂を再建すると祈願されたところ、鷹は無事に戻ってきました。しかし、祈願の約束を忘れていたので、ある夜の夢に伊丹堂の地蔵尊が、誓いを守るように言ったそうです。直政は、直ちに改築を行いました。また、土手下にあった伊丹堂も堤防上に移築されました。このあと伊丹堂の営繕は、松江藩が行うことになったそうです。

明治以降は、東林木の町内の方々が管理されています。

参考資料


[1] 国富郷土誌編纂委員会.「郷土誌国富」.pp.489-491(伊丹堂)、平成9年(1997).

[2] 島根県教育会.「島根県口碑伝説集(復刻版)」、簸川郡pp.19-21(直政公と観音寺)、歴史図書社、昭和54年(1979).

[3] 鳶巣郷土誌編集委員会.「 ふるさと鳶巣物語 」、pp.82-83(地蔵話)、出雲鳶巣自治協会、2005年.

履歴


Δ0 2020-02-01 新規登録

Δ1 2024-11-27 本文作成。写真差し替え。

Δ2 2025-05-02 公開

地図


背景地図:地理院タイル

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